オルダス・ハクスリー「すばらしい新世界」 ー ディストピアの古典、古典と知らずに読んで面白い

ディストピア小説の古典であるオルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」を読みました。読み終わるまで、古典だということも、そもそもディストピア小説の正確な定義さえ知らなかったのですが。

ディストピア - Wikipedia 

一般的には、SFなどで空想的な未来として描かれる、否定的で反ユートピアの要素を持つ社会という着想で、その内容は政治的・社会的な様々な課題を背景としている場合が多い。

書かれたのは、ディストピアものの重要な古典である、ジョージ・オーウェルの「1984」よりさらに前、1932年だということです。読んでいる最中に、そんなに古い本だと感じることはないと思います。古くなってない。 

  「ディストピア」の定義を上にあげました。この小説も「1984」と同じように、徹底的に管理された社会なのですが、そもそも人々は生まれる前の発生時の調整と、睡眠学習など無意識に働きかけを受けることによる心理的偏向、服用が奨励される鎮静剤などによって、体制に全く不満を抱いていません。管理の方向性も、壊滅的な戦争を契機として、安定、つまり社会の構成員の盲従的な幸福を指向しています。計画的な出生調整(子供は母体ではなく瓶から生まれる)、抑圧を受けない衝動(フリーセックス)、全員で一人であるという思想、など、ぬるま湯のような反ユートピアが描かれていきます。

 当然、誰もがその状況に疑問を持たないのであれば物語は進まないので、「すばらしい新世界」にも、そのような世界に馴染めない人物が何人かは登場します。この何人か、というのがバリエーションがあって魅力的です。一枚岩ではない感じがするのです。多少ネタバレになりますが、馴染めない者、乗り越えつつある者、外から来た者、それに惹かれる者、管理する者、の5人です。特に終盤の方で「管理する者」が他の者と対話するシーンには考え抜かれたリアリティがあります。歪んだ(自然ではない)世界を管理する者は、それを敷衍できる者でなければなりません。ということは、彼自身はその世界に浸かりきった人間であるわけにはいかないのです。

 小説内で描かれる世界は、ある意味で人間の本質を問おうとしているところがあります。思い浮かんだ範囲で言えばマックス・ヴェーバー(人間は自由には耐えられない)やスタンレー・ミルグラム(権威の下にある人間は自身が想像する以上に盲従的に振るまう)などがありました。マルサス人口論(食料が足りていれば人口は等比級数的に増加する)や社会階層ごとの人口配分(高等教育を受けるのに有利な遺伝子というのがあれば、親世代が長く教育を受けるため、社会的に継承されにくい遺伝形質になる)、哲学や宗教、文学、のことも取り扱われています。それでも、読みやすいか、と言えば読みやすいです。つらつらあげた例は脇の知識のようなもので、思いついたから書いてみたかっただけです。くだらない前知識などなくても十分に面白いので、ぜひ読んでみてください。

 

 

(脇の知識だとは思うんだけど、この辺りがとても好き)

 

服従の心理 (河出文庫)

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