トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」 ー 難解

アメリカの現代作家を代表する存在として、ドン・デリーロコーマック・マッカーシーと並んで称されることの多いトマス・ピンチョンですが、その文章の長大であること、難解であることも同様に有名であると思います。今回読んだ「競売ナンバー49の叫び」も、この作者の中では比較的読みやすいとされているようです。「この作者の中では」と言えるでしょう。

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

 

  ストーリーは主人公であるエディパ・マースがかつての恋人であり富豪であったピアス・インヴェラリティという人物の遺産管理執行人に指定されるところから始まります。主人公はこの富豪が本拠地にしていた街に赴いて、なぜ自分が指定されたのかも釈然としないまま、かつてのピアスの顧問弁護士と協力して職務に当たろうとします。このまま遺産管理の話が続くのだろうと読んでいる当初は思っていました。ところが、そのうちにピアスの所有していた切手コレクションの偽造切手にまつわるやりとりから、だんだんとストーリーのメインが、中央政府による郵便制度に敵対し暗躍するトライステロという組織を追う話に移っていきます。

真相に近づいているのか、それともパラノイアであるのか

 エディパはトライステロという秘密組織を追っているうちに、それが存在する兆候を頻繁に感じるようになります。トライステロが符号として使っている、ラッパにミュートがついたマークを、バスの車内、老人の刺青、トイレの落書きなどあらゆるところで目にします。一方で、秘密組織なのだから、その存在を確信できる証拠もつかめません。そうして、その組織を追うためにやりとりをした多くの人たちがエディパの近辺から去っていきます。あらゆるところで目にする兆候、それにも関わらずつかめない証拠、そして真相に近づいているという予感。すべてがピアスの準備した陰謀であるという疑いも払拭できません。これらはパラノイアの症例と言えるかもしれない。エディパもその可能性を考えるようになります。

真相を得ようとすることは、おそらくパラノイア的である

 この話はエディパがこれまで自分を構成していた世界を抜け出し、自己の内部に根拠を持つ真実に近づこうとする話なのでしょう。トライステロはそのための一種の暗喩なのではないかと思います。そうなってくるとトライステロの存在・非存在は本質的な問題ではないのかもしれません。また、こうしたエディパの内面的な展開に、ピアスが自覚的であったのかも謎です。自己の内部に根拠を持つ真実に近づく、ということは、自身のパラノイアへの恐れを伴うことになります。パラノイアを突き抜けた先に行けるかはその人によることで、一般化することはできません。

やっぱり難しい

 一応、ラスト部分がどうなるかは書かないでおきました。それに、作品の解釈も本文と巻末の解注を読んだ僕にとってのものです。難解であるという評判は評判どおりだと思います。それでも読んでよかったとは感じるので、興味があればチャレンジしてみてください。