アゴタ・クリストフ「悪童日記」 ー 唯一無二の日記小説、なににも似ていない

 小説は第二次世界大戦中のハンガリー、双子の子どもが母親に連れられて、会ったこともない祖母のもとに疎開してくるところからはじまる。読んでいるうちに明らかになるのだけど、小説はこの双子が書いた日記の体裁ですすむ。

 2人はその日記に決まりを設けている。なるべく精緻に、事実だけを書く、つまり感情などの不明瞭さを免れない描写はしない。だから日記のなかで、双子が何を感じたのかを読み取ることはほとんどできない。

 彼らは、負けつつある戦争の最中にある。窮乏し、エゴをむき出しにした大人たちに囲まれた劣悪な環境のなかで、状況に対応して生きていく。的確で、場合によっては残酷ですらある。

 それでも、淡々とした日々の記録は、彼らが何の感情ももっていないことを意味するのではない。ルールによって日記のなかに描かれないというだけで。むしろ双子の行動、弱いものを助け、傷つくものを悼み、彼らにとっての規範を逸脱したものには報いを与える、それら(具体的な行動や、なされた会話に限るのだけど)に読者は叙情を感じるようになる。彼らは何も感じない心を持っているのではない。どうしようもない理由で感じない心を持とうとせざるを得なかっただけだ。

 例えば、預けられた先の祖母は利己主義の固まりのような人間で、かつては自分の夫を毒殺している。それでも、双子は自分たちの規範に沿って、彼女を傷つけたりはしない。祖母にも語られない物語はあるのだろう。収容所に送られるユダヤ人たちの列の前で、祖母が転ぶ。集めていたリンゴをひっくり返す。祖母は監視の兵隊に殴られる。双子に助けられた祖母は言う。何人かは自分のリンゴを食べただろう、と。

 たぶん、この小説で読まなければ、こういう小説を他で読むことはないだろう。何人かのわけ知り顔で小説を読まない人たちが言う、現代で書かれる物語はすでに語られた話のバリエーションに過ぎない、という言説は浅薄さの証明でしかない。

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)