ホルヘ・ルイス・ボルヘス「バベルの図書館」 ー 小説それ自体が美しいということ

書評ブログを始めようと思った時に、まずは自分が最も好きな小説を上げようと思いました。最も好き、と言っても1つに絞るのは難しいのですが、その時に頭に浮かんだのが「バベルの図書館」が入った「伝奇集」という短編集でした。ではなぜそうしなかったのかというと、「伝奇集」を誰かに貸したらしく手元になかったからです。僕にはこの短編集を人に貸す癖があり、これで何度目の紛失だかも分かりません。裏を返せば何度でも人に薦めたくなるくらいに美しく、透徹した物語だということです。

新しく買った何冊目とも知れない「伝奇集」が届いたので、ここに取り上げることができます。以降、「バベルの図書館」のことを書きます。

伝奇集 (岩波文庫)

伝奇集 (岩波文庫)

 

 「バベルの図書館」の美しさの種類について

 ある小説が美しいと言う時、そこで描かれている世界観の美しさ(例えば「西瓜糖の日々」)や文体そのものの美しさ(例えば「古都」)のほかに、着想そのものが美しいという場合があると思います。「バベルの図書館」からは、この着想そのものの美しさを圧倒的に感じさせられます。着想がそもそも美しいから、続く世界観や文体も自ずと美しくなる。気持ちは理解できませんが、数学の得意な人が整然とした数式やフラクタルな構造に美を感じたりするのに似ているのかも知れません。 

概要

 「バベルの図書館」において、宇宙は図書館として定義されています。まず中心に換気孔を持つ六角形の部屋があります。四辺は本棚で塞がっていて、本棚のない辺は狭いホールに繋がっています。ホールはまた他の六角形の部屋と平面的にも上下階という観点でも接続されています。そしてそれが、おそらく無限に繰り返されます。

図書館は、その厳密な中心が任意の六角形であり、その円周は到達の不可能な球体である。 

  本棚に収められている本はアルファベットとコンマ、ピリオド、空白の25文字だけで構成されています。文字の並び順はランダムなので、ほぼすべての本には意味のない文字列が並んでいるだけなのですが、図書館が無限だとするのならば、そこには存在しうるだけのあらゆる本が所蔵されているということになります。

いっさいとは、未来の詳細な歴史、熾天使らの自伝、図書館の信頼すべきカタログ、何千何万もの虚偽のカタログ、これらのカタログの虚偽性の証明、真実のカタログの虚偽性の証明、バシリデスのグノーシス派の福音書、この福音書の注解、この福音書の注解の注解、あなたの死の真実の記述、それぞれの本のあらゆる言語への翻訳、それぞれの本のあらゆる本の中への挿入、などである。

 無限の本があるということは、膨大な無意味の中に言語的な意味をなす本もまた存在する、それどころか、ある一個人の行為を永久に弁護するような本やほかの全ての本の鍵であり完全な要約であるような本も存在することになります。ところが一方で、ある任意の一個人がそのような本を見つけ出す可能性が存在しないという諦観も同様の帰結として得られます。 そして人々は本を探索することの意味を見出せなくなっていきます。

疾病や宗教上の不和、必然的に山賊行為になりさがる巡歴などで人口は激減した。すでに自殺のことは述べたと思うが、これも年々ふえている。おそらく、老齢と不安で判断が狂っているかもしれないが、人類 ー 唯一無二の人類 ー は絶滅寸前の状態にあり、図書館 ー 明るい、孤独な、無限の、まったく不動の、貴重な本にあふれた、無用の、不壊の、そして秘密の図書館 ー だけが永久に残るのだと思う。

 ところで、有限の文字数とページ数で構成された本であるのなら、膨大な数になるにしても、無限の本を所蔵することにならないのではないか、という考えに至ると思います。「バベルの図書館」では最後にこう書かれています。本当に美しい。

図書館は無限であり周期的である。どの方向でもよい、永遠の旅人がそこを横切ったとすると、彼は数世紀後に、おなじ書物がおなじ無秩序さでくり返し現れることを確認するだろう(くり返されれば、無秩序も秩序に、「秩序」そのものになるはずだ)。この粋な希望のおかげで、わたしの孤独も華やぐのである。

その他

  僕がバベルの図書館を知ったのは、ウェブ上で「模造クリスタル」という人(たち?)が漫画化したものを読んだのが発端でした。今でも読めるのか調べてみましたが、公式には消されているようです。有志による保存ページはありましたが、リンクを貼るのも何かと思いますので、興味があれば各自で検索して見てくれてもいいと思います。

 また「無限の猿定理」という、この話の元になった数学的定理もありますが、数学的な一貫性の代わりに「バベルの図書館」にあるような文学的美しさには欠けます。ボルヘスが歴史上に存在してよかったと感じる次第です。「バベルの図書館」が存在するのなら、その中に物語としての「バベルの図書館」も所蔵されてはいるのですがね。